紅型×ミシン

  カタチキ

黙とう

本日は慰霊の日

 
沖縄では太平洋戦争末期の1945年3月26日〜6月23日まで沖縄にて住民を巻き込む地上戦が行われました。
 
沖縄戦です。
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ひめゆり部隊は沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として動員されました。他にもたくさんの部隊はありました。
彼女たちは日本軍の救護として看護部隊で後方支援を行ないました。
首里司令部が攻撃を受け本土へいかないよう守る為に首里から予定に入っていなかった南部へ司令部は移動しました。
 
そこには避難していない住民がたくさんいました。
そしてひめゆり部隊は後方支援だったはずが、いつのまにか前線に立っていました。
一般住民も国の防衛招集により、前線で戦う事になりました。
裸で敵に向かっていきます。子供までもが。
住民の集団自決もたくさんありました。
これが戦争です。
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多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失いました。死ななくてもよかった人が大勢いたのです。そして死にきれなかった人、奇跡的に助かった人は多くを語りません。
 
私達が今平和に生活できているのは祖先の皆様が戦争で戦い戦後復興から現在も復興活動などいろんなことに戦い続けています。
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子や孫を守るために 私達はたくさんの愛情を家族や親戚や地域住民、沖縄中のたくさんの人達からいただいています。
 
そして今首里のまちで紅型のお仕事をさせて頂いてるのも戦後のあの何もない土地から材料を集め紅型復興に取り組んだ祖先の皆様のおかげです。
本当に頭あがりません。
 
もう二度と戦争がおこらないように。
平和な未来を築いていくこと 次は私達のばんです。戦争体験者は戦争の恐怖とショックで何も言えません。黙ることしかできません。
おかしいと思う事は私達は言わなければいけません。
それが国でも家族でも。
それが亡くなった皆様へ、未来ある子供達へ私ができることだと思っています。
 
ご冥福を心から。祈りを捧げます。
ありがとうございました。